norimaki沿革事典
横浜市泉区
1921年(大正10年)4月1日
岡津小学校が開校
横浜市立岡津小学校が開校した。岡津小学校HPによると、当時の校名は「中川村立尋常岡津小学校」であったようで、その後1939年に横浜市立岡津尋常高等小学校、1941年に横浜市立岡津国民学校と改称され、1947年に現在の横浜市立岡津小学校となった。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年11月24日・訪問)▼
斜面の途中にある学校で、住宅の合間から富士山を見ることができました。周回道路を体育館のほうに回ってみると、ドンドン音がしたのでバスケの練習でもしているようです。また、学校の裏に回ると畳工場があって、その先は林と神社がありました。近くの岡津中学校では陸上部が練習中、学校の周りに掲げられた横断幕にも「陸上部全国大会出場」とあったので、名門なのかな。
1964年(昭和39年)1月12日
生協和泉店が開店
生協和泉店が開店した。【コープかながわ60年のあゆみ】
▼norimaki訪問記(2025年12月14日・訪問)▼
今は名前がコープになっていますが、その前は生協でしたので、norimaki家ではもっぱら「生協」と呼んでいました。ここの会員になっていた、ということもあり、当時(30年位前です)買い物といえば生協和泉店が一番のメイン。当時はまとまった大きさのスーパー、というイメージだったのですが、今こうして見てみるとかなりこじんまりしています。そして店内に入ってみましたが、お客さんも数えるほどしかいませんでした。当時は結構にぎわっていたと思うんだけどな。残念ながら、来年の2月20日をもって閉店、との張り紙がされていました。
1966年(昭和41年)4月1日
上飯田団地が竣工
上飯田団地(上飯田町1331)が竣工した。【40万人の40年史・戸塚】
▼norimaki訪問記(2025年11月16日・訪問)▼
大小42の棟が建っている、比較的大きな団地です。後付けとおぼしきエレベーターが設置されてはいるものの、その他の雰囲気は「ザ・昭和の団地」といった感じ。
上飯田団地ではありませんが、norimakiが小学生の頃(もう40年も前のことです)、毎日のように遊んでいた友人テツオ君の自宅がこのような形の社宅でしたので、こうして眺めていると当時のことを思い出して懐かしい気分になりました。
1968年(昭和43年)4月1日
上飯田小学校が開校
横浜市立上飯田小学校が開校した(1967年4月1日に中和田小学校上飯田分校として開校していたものが独立)。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年11月16日・訪問)▼
和泉小学校から歩いて上飯田小学校へ向かったのですが、和泉川を渡った先に大きな家畜の飼育施設があるようで、norimakiのところまでアレなニオイがぷぅ~んと漂ってきました。環状4号線を渡って上飯田団地に入り、団地内を少し行ったところにあるのが上飯田小学校(グラウンドでは少年サッカーの練習中でした)。到着時、学校前のバス停には5人ほどの待ち客がいましたが、戸塚行きのバスが来ると全員乗っていきました。
1968年(昭和43年)4月1日
中和田南小学校が開校
横浜市立中和田南小学校が開校した。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年11月16日・訪問)▼
下飯田の駅から、環状4号と並行に延びる道を歩いていくと学校に到着、周囲は建設機械の資材置き場などがある感じのところでした。学校前の、萩丸と湘南台を結ぶ道は比較的交通量多めでしたが、南小学校のバス停を見ると本数はだいたい1時間に1本。地下鉄ができる前は深夜バスも走っているようなところだったんですけどねぇ。
その通りの反対側に「鍋屋の森」なる看板が出ていたので行ってみました。といっても、中は森になっているだけで、とくに施設などはありません。夕暮れ間近で若干暗く、寂しんぼな感じでした。頭上から降って来る木の実が直撃を受けないかと緊張しながら歩いていくと和泉川の脇に出て、その先は鍋屋橋でした。下飯田駅周辺は地下鉄や環4、ソラトスができてずいぶんにぎやかになったけど、この辺りまで来るとその風景はnorimakiが子供の頃と変わっていないですね…
16時半になったのか、どこからともなく「夕焼け小焼け」の音楽が聞こえて来たので、下飯田方面に引き返すことにしました。
1968年(昭和43年)4月1日
東中田小学校が開校
横浜市立東中田小学校が開校した。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年11月3日・訪問)▼
学校の周囲は半分が農園、残り半分が住宅地といったところで、斜面の途中に立地しているためか、外周道路は坂道が多かったです。そして、校庭では少年野球が行われており、「オーイオーイ」の掛け声や、ボールを打つ音なんかが聞こえていました。
なお、学校から少し離れた所まで歩いていくと、そこには御霊神社という少し大きめの神社があって、その境内にある弁天池が村岡川(宇田川)の源流になっています。池のほとりには「村岡川源流」の石碑も建っていました。
1971年(昭和46年)10月1日
新橋小学校が開校
横浜市立新橋小学校が開校した。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年11月29日・訪問)▼
現代的な住宅街が広がる弥生台駅周辺から進むと、深い谷をに入ります。その谷底のあたりは緑が多い雰囲気で、先週川上小学校の訪問時に見た送電線の「東京南線3.4号線」がここにもありました(こちらは103番)。そこから登り返すと、今度見えてくるのは大きなゴルフ練習場。実はnorimakiも昔、ゴルフやっていた時期があったのですが、「♪シャンク・スライス・ダフリ・OB gogo norimaki マイゴルフ」といった感じで悲惨極まりないものでしたので今はやってないです(当時のスコアは150くらい)。
坂道をの上、四角く区切られた道路で整地された住宅地の中に新橋小学校がありました。校庭では少年野球。
ちなみに学校の少し先には戸塚自動車学校がありますますが、ここはnorimakiがバスの運転したいなー、と思ってチェックしていたところ。20年位前まで、神奈中バスの戸塚駅~いずみ野駅線が近くを走っていたのですが、当時のバス停と思われるものが自動車学校の敷地内に残されていました。自動車学校の先には中古車販売店があって、軽自動車が13万円で売られていました。ずいぶん安いけど、大丈夫かな。
1972年(昭和47年)4月1日
和泉小学校が開校
横浜市立和泉小学校が開校した。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年11月16日・訪問)▼
学校の前には畑が広がっていて、前方には大山が見えます(ちなみにこの学校前の道も昔の大山道だそうで)。
その大山道に広域避難所の看板が建っていまましたが、その避難先はよくありがちな公園とか学校ではなく、「中田町2921番地付近耕地一帯」となっていましたのがいかにも農村地帯という感じです。学校の周囲をぐるっと回ってみると、道路と反対側は、戸建てやアパートなどの住宅地になっていました。
norimakiが訪問したのがたまたま区民マラソンの日だったらしく、ちょうどランナーが通りかかるところでしたが、上位に「松陽」のユニフォームを着た人が多かったのは、松陽高校陸上部とかなのでしょうか(なお、このランナー一行には、後で別の場所でもすれ違いったのですが、その時の1位は黄色いアフロヘアのかぶりものをしている人でした)。
1974年(昭和49年)4月1日
下和泉小学校が開校
横浜市立下和泉小学校が開校した。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年12月14日・訪問)▼
湘南台駅から1時間に1本しかない立場行きのバスがタイミングよく来ていたので、それに下和泉まで乗車。バス停で降りてみると、なぜか正規のバス停に、アヒルバスの停留所(しかも原宿公園のもの)が括り付けてありましたが、どういうことなのでしょう。地下鉄開業の前後で、1本隣の長後街道はすっかり近代化されましたが、こちらの道は40年前の頃と全く雰囲気が変わってなく、歩道も無いのでやって来る車に気を付けながら少し歩くと下和泉小学校に到着です。
校内で目に留まったのは、体育館の側壁がスレートになっていることで、おそらく開校当初のレトロな感じがそのまま残っているなという印象でした。一方、学校周囲の様子はいいますと、裏手が畑になっていて、ビニールハウスの中では赤やピンクの花が栽培されている様子。少し離れた所から遠景を撮ってみましたが、手前の畑と相まってなかなかカントリーな風景です。
そこから少し歩くと、通信隊跡地を横切る小径に出ますが、この辺りはnorimakiがかつて「奥和泉」と勝手に名付けていたところ(小中学校の頃につけたんです)。当時は砂利道だったと記憶しているところが、今は舗装道になっていましたが、それ以外の雰囲気は当時と変わっていません、懐かしいです。
1975年(昭和50年)4月1日
葛野小学校が開校
横浜市立葛野小学校が開校した。
【葛野小学校HP】
▼norimaki訪問記(2025年11月1日・訪問)▼
葛野小学校学校は、周りを住宅地に囲まれたところにあり、訪問したのは土曜日の朝だったのですが、校門前の食料品店は既に営業を始めていました。さらに住宅の中を歩いていくと木工所があってそこからノコギリをひく音が聞こえていたり、中田町くずの公園では男の子が2人遊んでいたり、そんな感じのところでした。
また、近くには山神社という小さな神社があるのですが、案内板によると『この地域の字名が山神前、山神後となっていることから、地域にとって大切な存在の神社だったのではないか』と書かれていました。
1975年(昭和50年)6月5日
しらゆり公園が開園
しらゆり公園が開園した。【40万人の40年史・戸塚】
▼norimaki訪問記(2025年11月29日・訪問)▼
土曜日の朝のしらゆり公園、グラウンドでは大人のチームがソフトボールの練習中。ブランコのある広場では親子連れが遊んでいて、その対面の広場では小学生くらいの男の子がドッジボール?中でした。
そしてnorimakiの注目ポイントは公園から少し下った雑木林の中の遊歩道。楓の木が1本あって、それがいい感じに色づいていてgoodな感じ(あと、林の中に鳥の巣があるみたいで、小鳥たちがそこらじゅうを飛び回っていました)。
1978年(昭和53年)4月1日
いずみ野小学校が開校
横浜市立いずみ野小学校が開校した。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年11月29日・訪問)▼
2024年に阿久和小学校と統合して、新・いずみ野小学校となっていますが、画像の校舎風景は1978年4月開校時のものと思われます。
学校の裏側は畑が広がっていますが表側は団地になっていて、そこまで人口が少ない、ということは無さそうなんだけど、統合されたところを見ると地域の齢化が進んで子供の数は少ないのでしょうか。
1978年(昭和53年)4月1日
上飯田中学校が開校
横浜市立上飯田中学校が開校した。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年12月30日・訪問)▼
隣の飯田北小学校から歩いてきましたが、校舎は正方形に近い建物が廊下で結ばれている構造になっていたのが印象的でした。学校からは歩いて境川方面に向かったのですが、途中にある「飯田神社前」のバス停がレトロで、なんだか「となりのトトロ」に出てきそうじゃありませんか?と言いたくなるような雰囲気。待合室内の看板を見ると「戸塚区上飯田町」と書かれていたことから、少なくとも泉区ができた1986年より前で、一方「上飯田団地」の表記もあったので団地竣工の1966年以降のものだと思います。
1979年(昭和54年)4月1日
伊勢山小学校が開校
横浜市立伊勢山小学校が開校した。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年11月3日・訪問)▼
立場駅から住宅地の中を進んでいくと伊勢山小学校に到着。「伊勢山」というなんだか由緒のありそうな名前がついているので、学校周辺でそれらしい場所が無いか散策したところ、学校のすぐ脇に緑の森がありましたが、ボーイスカウトの野営場になっていて進入禁止でしたのであきらめ。少し行くとそこにも森があって、小高い丘の上に向かって遊歩道が伸びていました(上の写真はこの入口から振り返って撮影したものです)。ただ、上の方まで上がってみても、伊勢山と書かれたようなものは何もありませんでした。
そしてその先は、そこはすっかりのどかな雰囲気に様変わり。白い軽トラック、手押し車を押す老人、どこからともなく煙をいぶすような香りが漂ってくる畑中の細道、という農村の3点セットのような風景が広がっていて、「ここが横浜市なの?」と疑ってしまうような感じでした。
1986年(昭和61年)4月1日
領家中学校が開校
横浜市立領家中学校が開校した。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年11月8日・訪問)▼
踊場駅から戸塚斎場の裏を回って領家方面に続く道のことを、norimakiは勝手に「領家尾根道」と呼んでいるのですが、その道の終点近くにあるのが領家中学校です。
学校周辺には、パステルカラーで彩られたきれいな住宅が整然と並んでいました(ちょうど、1匹のリスが中学校の敷地から飛び出してきて、目の前を横切って行ったのですが…最近この辺りでよく見かける外来種のタイワンリスでしょう)。
もう、ずいぶん昔の話の記憶の話になるのですが、1985年頃、当時小学性だったnborimakiが深谷町の自宅から自転車を漕いでこの辺りまで来た時、階段の上から眼下に広がっていたのは、住宅建設前の整地された土地が一面に広がっている風景でした。
1989年(平成元年)2月22日
泉図書館が開館
泉図書館が開館した。【横浜市の図書館2025】
▼施設外観▼
(2025年11月16日撮影)
1993年(平成5年)12月10日
相鉄ローゼン山手台店が開店
相鉄ローゼン山手台店が開店した。【平成7年6月1日現在 大規模小売店舗の概要】
▼norimaki訪問記(2025年11月8日・訪問)▼
norimaki家の第一の台所が立場のヨーカドーだとすれば、第二のそれがここの相鉄ローゼン。訪問したのは土曜日の朝9時半過ぎでしたが、すでに多くの買い物客が訪れていました。ちなみに今日の野菜・果物の値段(1袋)は、ピーマン199円、トマト299円、ミカンとキュウリが399円、リンゴが499円なり。
そして、ローゼンを出た所にある業務スーパーの前に列ができているので何かなと思ってみたら、ミカン詰め放題の販売をしているところでしたとさ。
1995年(平成7年)4月1日
西が岡小学校が開校
横浜市立西が岡小学校が開校した。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年11月16日・訪問)▼
中田方面から行くと、急な下り坂の途中に学校がありました。校舎の外壁はパステルピンクに塗られていて、他の学校でありがちなクリーム色のそれと比べるとおしゃれな感じ。さすが平成生まれの学校です。
坂を下りきると大通りに出るのですが、そこには綺麗な住宅が並んでいました。駐車場にポルシェが止まっている邸宅もあったので、お金持ちが住んでいるのかも知れないざます。学校の前には「西が岡三丁目」というバス停があるのですが、弥生台方面は日中でも4本/時くらいの本数が確保されておりなかなか便利だなと思いました。
2003年(平成15年)11月20日
イトーヨーカドー立場店が開店
イトーヨーカドー立場店が開店した。【日本ショッピングセンター協会HP】
▼norimaki感想文(2025年11月8日・記)▼
norimaki家の台所ともいえるイトーヨーカドー、通称「ヨーカさん」です。もともとこの地には神奈中の戸塚営業所があったのですが、地下鉄開業時に上飯田に移転し、その跡地にできたのがイトーヨーカドー、という流れです。去年、近くにソラトスができたので集客が減るかなと思ったのですが、今のところ大きな影響は無さそう。
2014年(平成26年)4月1日
飯田北いちょう小学校が開校
飯田北小学校、いちょう小学校を統合し、横浜市立飯田北いちょう小学校が開校した。【飯田北小学校HP】
▼norimaki訪問記(2025年12月30日・訪問)▼
神奈中バスの「飯田北小学校入口」で下車して現地に向かいました。バス停の名前は統合される前の校名のままになっていますが、現在のそれに改めると長くなりすぎるから、とかいう理由があるのでしょうか。バス停は幹線道路沿いにありますが、学校のあるところは周囲を畑に囲まれた、静かな環境でした(荷台の籠を乗せた軽トラが走っていくあたりが何ともカントリーな雰囲気)。校内に遊水地があるのか、一段低くなったところにバスケットボールのコートがあるのが特徴的だったかな。
2014年(平成26年)4月1日
Eバス本格運行開始
いずみ中央駅~下和泉住宅循環のEバスが本格運行を開始した(当バスは、2002年4月より自主運営の貸切バスとしてスタートした後、2013年9月17日より路線バスとしての試験運行が始まっていたものが発展)。【横浜市HP】
▼norimaki乗車記(2025年12月14日・乗車)▼
バスはいずみ中央駅から出発して、生協団地(norimaki家ではそう呼んでいたんです。正式には「下和泉住宅」のようですが)を循環する路線なのですが、始発から終点まで乗るのは恥ずかしいので、途中の「三丁目南」から乗車しました。バス停の時刻表を見ると日中の本数はおおむね平日40分間隔、土曜休日は60分間隔で、今回乗車したのはそのうち16時04分発の便です。バスが到着すると、norimakiと入れ違いに一人降りたので、車内は貸し切り状態、そこから住宅内をぐるっと回ります。バスは座席が10人分くらいしかない小型のものですが、それでも道幅結構ぎりぎり、と思えるような狭隘なところもあり、三丁目北、三丁目西で1人ずつ、コープ前で2人の乗車があって、環状4号を走って10分ほどで下飯田駅に到着しました。ちなみに、車内アナウンスはテープ音声ではなく、運転手さんが肉声でやっていたのが印象的。下飯田駅を出る時に「ここからいずみ中央まで7分かかります」の案内があり、実際ほぼその時刻通りに到着しました。