norimaki沿革事典
横浜市戸塚区
1873年(明治6年)6月1日
戸塚小学校が開校
横浜市立戸塚小学校が開校した。開校時の名称は「富塚学舎」で、その後何回かの校名変更を経て、1947年4月1日から現在の名称に。なお同校は、戸塚区内で一番歴史のある学校となっている。【横浜市立戸塚小学校創立150周年記念誌】
▼norimaki訪問記(2025年11月2日・訪問)▼
訪問した時は、ちょうど校舎改築工事の準備中でした。現地の看板によると、工事は今年の9月から始まって、最終的な完了予定は令和12年6月28日となっていました。
学校前の道路から校内を見ると、ちょうどそこに二宮金次郎の石像がありましたが、これは新校舎に移築されるのでしょうか。学校の東側に回り込むと、そこは柏尾川の遊歩道になっていて、カルガモが何羽かきていました。
1887年(明治20年)7月11日
横浜~国府津間の鉄道が開業
横浜~国府津間の鉄道が開業した。途中駅として程ヶ谷、戸塚、藤沢、平塚、大磯の5駅が開業。なお、運転時刻は下表の通り。【官報・1887年7月9日号】
▼横浜~国府津間開業時の時刻表▼
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下り列車
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横浜(発)
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7:50
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12:30
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17:10
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国府津(着)
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9:35
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14:15
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18:55
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上り列車
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国府津(発)
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10:00
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14:45
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19:30
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横浜(着)
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11:45
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16:30
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21:15
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1892年(明治25年)10月1日
川上小学校が開校
横浜市立川上小学校が開校した(開校時の名称は「高等川上小学校」)。ただし、川上小学校HPによると、その前身となる柏岡学校、増威学校は1873年5月に開校していたようである。1923年に川上尋常高等小学校、1941年に横浜市立川上国民学校等の改称を経て、1947年に現在の横浜市立川上小学校となる。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年11月24日・訪問)▼
住宅地の中にある学校ですが、近くを横浜新道が通っているので車の音も聞こえます。学校の近くには高圧線の鉄塔があり、「東京南線3.4号線 91」の表記がありましたがどこから来てどこに向かうんだろう?
1916年(大正5年)3月31日
大正小学校が開校
横浜市立大正小学校が開校した。大正小学校HPによると、当時の校名は「鎌倉郡尋常大正小学校」で、前身としてあった「大正村立富士見小学校」「俣野村立鳳翔小学校」を引き継いで誕生したものだったようです。その後1939年に横浜市立大正尋常高等小学校、1941年に横浜市立大正国民学校に改称され、1947年に現在の横浜市立大正小学校となった。
▼norimaki訪問記(2025年11月23日・訪問)▼
大通りに面したところにある学校です。学校の回りもほぼ住宅地で、日曜日の午前中に行ったのですが、Aコープへの買い物に行くと思われる人たちが結構歩いていました。小学校の隣にある大正中学校には、「ソフトボール部全国大会出場、柔道部、陸上部、バドミントン部が県大会出場」の横断幕が掲げられており、校庭ではそのソフトボール部が試合中のようでした。
1943年(昭和18年)6月1日
戸塚海軍病院開設
戸塚海軍病院が開設された。戦後は国立戸塚病院→国立横浜病院と改称され、2004年から現在の国立病院機構横浜医療センターとなっている。【40万人の40年史・戸塚】
▼施設外観(2025年11月23日・撮影)▼
1948年(昭和23年)9月6日
大正消防出張所開設
大正消防出張所が開設された。【横浜消防20年】
▼施設外観(2025年11月23日・撮影)▼
1963年(昭和38年)6月24日
藤沢バイパスが開通
藤沢バイパス(影取町~藤沢市四ツ谷間・4790m)が開通した。【40万人の40年史・戸塚】
▼施設外観(2025年11月30日・撮影)▼
1964年(昭和39年)9月1日
汲沢小学校が開校
横浜市立汲沢小学校が開校した(1960年12月1日に戸塚小学校汲沢分校として開校していたものが独立)。【よこはま教育時報・1964年9月号】
▼norimaki訪問記(2025年11月8日・訪問)▼
住宅地の中にある学校ですが、高台の上に位置しているので、西側に大山を望むことができます(norimakiが訪れた日は、ちょっと霞んでしまっていたのが残念)。小学校のあることから中村三差路のほうに下ったところには、みかん狩り園がオープンしており、ちょうど家族連れと思われるご一行が入っていくところでした。norimakiの記憶では、ここは確か昔はゴルフ場だったはずで、みかん狩り園の周囲には、当時の痕跡と思われる高いネットが張り巡らされていました。
1967年(昭和42年)4月1日
境木小学校が開校
横浜市立境木小学校が開校した。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年12月6日・訪問)▼
東戸塚駅からマンションの間の広い道を歩いてきて、環2を渡ってしばらく進んで道幅が少し狭くなったところが境木小学校でした(ちなみに学校の前の道は旧東海道だそうです)。なお「境木」という名前は、その昔相模国と武蔵国の境を表す木柱があったことに由来するのではないか、というような説明の看板が近くに建っていました。
学校の前にはちょっとした商店街のような通りがあって、その一軒に「境木名物ジャンボコロッケ」という提灯が掲げられており、辺りに揚げたてのコロッケの美味しそうな香りがフワフワ。まだ開店前のようでしたが、すでにお客さんの列ができていました。
それから学校の裏手に回ってみますとそこには草木が生い茂ったエリアがあって、ちょうど猫が一匹、道路を歩いてその中に消えていくところでした、にゃあにゃあ。
1967年(昭和42年)5月5日
今美屋ストアが開店
今美屋ストアが開店した。【平成7年 大規模小売店舗の概要】
▼norimaki訪問記(2025年11月8日・訪問)▼
踊場駅そばのスーパーで、通りに面した地上部分はファミリーマートとセイムスが入居していて、いかにも令和の時代という普通の外観です。訪問時、隣のパン屋さんでは、ちょうど焼き上がったのか香ばしい匂いが。
ただ、建物の裏手に回って、半地下のエリアに入ると、一転そこはもう昭和の雰囲気!魚屋、肉屋、八百屋が朝から営業しており、何人かのお客さんが買い物に来ていました。
1968年(昭和43年)4月1日
境木中学校が開校
横浜市立境木中学校が開校した。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年12月6日・訪問)▼
境木小学校のすぐ隣にある境木中学校、この学校の名前を始めて知ったのはたぶん中学の頃、なぜかというと横浜市営バス106系統の終点だったから、です(norimakiがバスマニアなことが分かってしまいますね)。もともと106系統は権太坂上が終点で、ずいぶん中途半端なところが終点だなーと思っていたところ、今度は境木中学校まで延長されたけどやっぱり駅とか観光施設とかではない、なんでここ?ところが終点という…
さて、学校の様子はといいますと、校舎周りに県大会出場の横断幕がいくつも掲げられているのが印象的でした。見たところでは、バレー部、バスケ部、バドミントン部、テニス部、吹奏楽部の名前があって、そして水泳部は全国大会出場とのこと。部活動が活発な学校なのでしょうか。ちなみに校庭では、そのテニス部がちょうど練習しているところでした。
1968年(昭和43年)5月3日
西友戸塚店が開店
西友戸塚店が開店した。【平成7年 大規模小売店舗の概要】
▼norimaki思い出話(2025年11月8日・記)▼
今はサクラスが経っているところにあった西友戸塚店。norimakiの遠い遠い記憶の中で思い出されるのは店内にあった食堂「トリコロール」。たまーにここで外食することがあったように思います(だいたい注文していたのはお子様ランチとかだったとかな)。小学低学年の頃、1回祖母と妹と来た時に、norimakiが「ジャンボラーメンが食べたい」といったので注文してもらったことがあったですが、当然食べきれる量ではありませんでしたという…
あと、鉄道模型の店もあって、母が買い物している間、そこで車両やレイアウトのカタログを見るのも楽しみでした。当時の資金力では、買えるような代物ではなかったですから、見るだけです。
1969年(昭和44年)4月1日
川上北小学校が開校
横浜市立川上北小学校が開校した(1968年10月1日に川上小学校北分校として開校していたものが独立)。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年11月15日・訪問)▼
東戸塚駅から歩いてすぐのところ、住宅やマンション、コンビニが立ち並ぶような環境のところにあります。学校前は交通量の多い道に面しており、東戸塚駅と川上団地を結ぶバスの停留所もありましたが、運転本数は平日が1日5本、土曜休日は1日4本という少なさ!前はもっとあったような気がするのですが、歩いても行けない距離だから、ということなのでしょうか。
一方、学校の裏手に回るとそこは川が流れていて静かな雰囲気。水はきれいですが、水深が浅いせいか、魚の姿は見えません。川の向こう側は小さな林になっていて、ガサガサ音がするので見てみると、キジバトさんたちがお食事中でしたわ。
1969年(昭和44年)4月1日
小雀小学校が開校
横浜市立小雀小学校が開校した(1968年4月1日に大正小学校東分校として開校していたものが独立)。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年11月23日・訪問)▼
戸塚から乗ったバスを大運寺のバス停は国道沿いにあり、非常に交通量が多く賑やかですが、小学校を目指して脇道に入ると静かに。畑の中を進んで少し坂を上るとそこが小雀小学校で、振り返ると雲の上に富士山が見えました。校庭を覗くと、大人のサークル活動でしょうか、ソフトボールが試合か練習中が行われているよう。
そこから学校の周回道路を裏手に回ったところは森になっていて、モミジが色づき始めていましたが、曇り空だったせいもあり、くすんだ感じになってしまっていたのが残念。中へ続く道があったのですが、私有地かどうか分からなかったので入るのは断念して戻ってきました。
全体を通して、学校の周りには住宅もあるものの、人通りはほとんどなくとても静かなところという印象です。
1970年(昭和45年)9月1日
矢部小学校が開校
横浜市立矢部小学校が開校した。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年11月15日・訪問)▼
住宅地に囲まれた中にある小学校です。敷地の関係なのか、プールだけは学校前の道路を挟んだ反対側にありました。
学校前の道を進んでいくと、神奈中バスの「道祖神前」というバス停があります。名前だけ聞くと、なんだか安曇野にでも来たような錯覚を受けますが、実際はめちゃくちゃ住宅街です。ちなみに名前のもとになった道祖神はすぐそばにありました。
1971年(昭和46年)9月1日
南戸塚小学校が開校
横浜市立南戸塚小学校が開校した。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年11月22日・訪問)▼
下郷小学校の脇に、「尾根道広場106m」という看板があり、その先が山道になっていたので登ってみましたが、これが75kgおじさんには結構きつかったです。尾根道に出ても広場らしきものは見当たらず眺望も特に良いわけではなかったので、そのまま道なりに下って来るとそこが南戸塚小学校でした。
学校前の道からは、下郷小学校も割と近くに見えましたが、山道を通って来たので見た目以上に距離がある印象。周囲は住宅が多かったですが、下郷小学校周辺に比べ古くから開発された地域という佇まいで、校庭では、こちらも少年サッカーの練習中でした。
1972年(昭和47年)3月25日
ダイエー戸塚店が開店
ダイエー戸塚店が開店した。【日本ショッピングセンター協会HP】
▼norimaki思い出話(2025年11月8日・記)▼
今はイオンになっているところにあったダイエー戸塚店。1980年代のnorimaki家では、西口の西友、東口のダイエー(?)というくらいにヘビロテしていたような。広い駐車場とその脇にあった江ノ電バスの「戸塚ダイエー」乗場、そしてたい焼きを買ってもらったことなどが思い出されます。
1972年(昭和47年)4月1日
平戸小学校が開校
横浜市立平戸小学校が開校した。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年12月6日・訪問)▼
この訪問時は境木方面からいくつも谷を越えてやってきました(結構起伏の激しい地域だったのでびっくり)。来るまでの道中は住宅地の中を通って来たのですが、意外なことに平戸小学校の周りだけは果樹園が多く残っています(「平戸果樹の里」という農業専用地区のよう)。
あと、グーグルマップを見ると、地図上で学校北側の道路には「平戸198号線」の名前が付けられており、また他の道にも同じような「●●号線」という表示がたくさんあるのですが、現地に行ってみると特に案内板のようなものはありませんでした。ただ、この辺りは道が複雑に入り組んでいるので、道案内の際分かりやすいように表示しているのかも知れません。
1973年(昭和48年)4月1日
深谷小学校が開校
横浜市立深谷小学校が開校した。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年11月1日・訪問)▼
学校の周りは栗林や畑が広がっていて、大根やネギが栽培されているのが見えましたが、耕作を放棄したのか、荒れ地になっているところも結構ありました。
実は深谷小学校はnorimakiの母校(1980年代に在学)で、そのころも学校の周り一面が畑でした。しかもその一角には馬糞置場があったものですから、そこから発せられるかぐわしい香りが周囲に立ち込めていたのですが、さすがに令和の現在、そういうものは無くなっていました。校庭では少年たちがサッカーの練習をしていました。
1975年(昭和50年)4月1日
名瀬小学校が開校
横浜市立名瀬小学校が開校した。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年11月24日・訪問)▼
岡津から、産業廃棄物処理場のある山道を越えて、名瀬に入ってきました。名瀬小学校は住宅の中(ただし学校の目の前だけ前はお寺)というところにあり、それだけでは珍しくもないのですが、norimakiが珍しいなと思ったところは「自動車はパンダ門におまわりください」の案内です。
案内される方向に実際行ってみると、門のところにパンダのイラストがあり、ちなみに他の門にはイルカとウサギもあったので、この学校では正門とか北門、という呼び方ではなく、動物の名前で呼んでいるみたいです。
1975年(昭和50年)4月1日
東汲沢小学校が開校
横浜市立東汲沢小学校が開校した。
【東汲沢小学校HP】
▼norimaki訪問記(2025年11月2日・訪問)▼
汲沢団地の通りから急な坂を上った先にある学校です。擁壁には、創立50周年を記念した壁画が描かれていました(「ひぐみ」という名前のマスコットキャラクターと子供たちの手形です)。
そして、校庭の方に回り込んでみると、ちょうど老人のグループがゲートボールをしている時間で、コンコンと球を打つ音が聞こえてきました。norimakiが見ていると、その中の1人が30メートルくらいの距離をホールインワンするところでした。すごい。
さらに進むと、そこは高台の縁になっていて、階段の上から眺めると、谷筋の向こうに戸塚方面のワンマン道路や、モディ―の上部などを見ることができました。
1975年(昭和50年)10月1日
俣野小学校が開校
横浜市立俣野小学校が開校した。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年11月23日・訪問)▼
住宅地の突き当りにある学校でした。閉校してずいぶん経つと思うのですが、まだ校舎はそのまま残っているようです。学校脇を流れる宇田川沿いの遊歩道に回ってみると、水は澄んできれいで、川の中に鯉が何匹も泳いでいるのが見えました。もう40年近く前(norimakiが中学生の頃です)の話になりますが、、当時は川に生活排水が流れ込んでいたのか、風が吹くと水面から洗剤の泡のようなものがフワフワ舞い上がったりしていたものです。
なお、学校の反対側まで来るとそこは畑といくつかの工場になっており、廃棄物処理工場からは機械が動く大きな音が聞こえてきていました。
1976年(昭和51年)4月1日
消防訓練センター開設
消防訓練センターが開設された。【横浜市消防局平成30年年報】
▼norimaki訪問記(2025年11月1日・訪問)▼
ちょうど行ったときに、はしご車による救助の訓練をしていましたのでその様子を見学(はしごがぐぐーっと伸びて、15mの高さにあるバルコニーに横づけして、人を下ろしていました)。
norimaki小学生時代の学校行事のマラソン大会のコースが「訓練センターを1周して戻ってくる」というものだったということが思い出されるのですが、どうやら来年から建て替えの工事が始まるらしく、その旨が書かれた看板が建てられていました。
1977年(昭和52年)3月25日
前田ハイツが竣工
前田ハイツが竣工した。【40万人の40年史・戸塚】
▼施設外観(2025年11月24日・撮影)▼
1977年(昭和52年)4月1日
汲沢中学校が開校
横浜市立汲沢中学校が開校した。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年11月1日・訪問)▼
学校の前は旧米軍深谷通信隊跡の草原になっていて、遠くに大山や少し雪をかぶった富士山の姿を見ることができました。通信隊が日本に返還されたのはもうだいぶ前になると思うのですが、敷地の周囲には、当時のものと思われる英語の看板(日本語訳つき)が今でも残されていました。
訪問したのは土曜日の午前中だったのですが、学校の校庭ではテニス部とハンドボール部が練習をしていました。
1978年(昭和53年)11月1日
戸塚図書館が開館
戸塚図書館が開館した。【横浜市の図書館2025】
▼施設外観▼
(2025年11月2日・撮影)
1979年(昭和54年)9月1日
平戸台小学校が開校
横浜市立平戸台小学校が開校した。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年12月7日・訪問)▼
坂下口の交差点から坂道を登って行った先にある学校です(坂下口の名前は「坂の下にある入り口」だから、というのかな。どうなんだろう?)。ちなみに訪問時、校庭では大人のグループがソフトボールの練習中。
学校の周りは起伏に富んだ地形になっていますが、谷あいから高台に至るまでほぼ住宅地になっていて、谷筋の向こう側は東戸塚の高層マンションまで見渡すことができました。
1980年(昭和55年)4月1日
鳥が丘小学校が開校
横浜市立鳥が丘小学校が開校した。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年11月8日・訪問)▼
鳥が丘消防署のすぐ裏手にある鳥が丘小学校。校舎内に柿の木が植えられていて、訪問した時にはちょうどいい感じに実をつけていました。学校で給食の時にでも食べるのかな(もしくは渋柿)?
学校ではバスケットボールや吹奏楽、少年野球の練習が行われているようで、外周道路にもいろいろな音が聞こえてきていました。少年野球といえば、昔は男子だけがやっているというイメージだったのですが、norimaki家の近所の公園も含め、最近は女の子の姿もよく見かけるようになった気がします。ちなみに、鳥が丘地区は戸塚の高級住宅地、でもあるので、周囲の邸宅も門構えのしっかりしたところが多かったのが印象的でした。
1980年(昭和55年)4月1日
深谷中学校が開校
横浜市立深谷中学校が開校した。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼施設外観▼
(2025年11月1日・撮影)▼
▼norimaki思い出話(2025年11月4日・記)▼
この深谷中学校もnorimakiの母校(1987~1989年度在学)です。地元では通称「深中」で通っていたのですが、その後進学した保土ヶ谷の高校では「ドリ中」と呼ばれました。近くにあったドリームランドから文字ったものなのですが、市内の中心部から見ると深谷は結構辺境の地で、どちらかというと若干馬鹿にされたような感じでそう呼ばれていたのです。
なお、在学中の思い出としては、5分前集合(着席)を求められるとか、風紀に厳しい学校、ということでしょうか。「ペキン」「ゴッツ」が名物先生の時代の話です。
1980年(昭和55年)10月1日
東戸塚駅が開業
東戸塚駅が開業した。
【JR東日本HP】
▼施設外観(2025年12月7日撮影)▼
1981年(昭和56年)12月11日
大正地区センターが開館
大正地区センターが開館した。
【横浜市HP】
▼施設外観(2025年11月23日撮影)▼
▼norimaki思い出話(2025年11月29日・記)▼
地元では「タイチク」と略されていた大正地区センター、中学で卓球部に入ったnorimakiは、その練習のために同級生と一緒にタイチクに行ったことがありました。当時(といっても40年近く前ですが)は卓球台が置いてあったんだけど、いまはどうなんだろう?
1982年(昭和57年)4月1日
上矢部小学校が開校
横浜市立上矢部小学校が開校した。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年11月24日・訪問)▼
1枚目の写真は、学校近くの小高い場所から周辺を撮影したものですが、住宅、畑、そして森がバランスよく分散しているんじゃないか、と思います(戸塚区にありがちな光景?)。
さて、学校に着きますと校庭では子供のサッカークラブが練習していて、近くにあった上矢部第五公園では、小学生くらいの女の子3人がブランコで遊び、男の子2人がカードゲームのようなものをしているようでした。公園の中にあったいちょうが鮮やかに色づいていてきれいだったのでついでに記念撮影も。
1982年(昭和57年)4月27日
鳥が丘消防出張所開設
鳥が丘消防出張所が開設された。【横浜市消防局平成30年年報】
▼施設外観▼
(2025年11月8日・撮影)
1983年(昭和58年)4月1日
品濃小学校が開校
横浜市立品濃小学校が開校した。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年11月15日・訪問)▼
学校前の十字路は、環2、名瀬、そして東戸塚駅を結ぶ道路なのでとても賑やか。校舎の壁には「しっかり」「なかよく」「のびのび」とスローガンが書かれていましたが、頭文字をとると「し・な・の」になるということなのでしょうか。学校の隣には、東戸塚の地場産業(?)ともいえるコイトの建物があり、さらにその先は静かな住宅地になっていて、軒先にミカンがなっているのを見かけました。少し前までは柿が多かったと思っていたのですが、それだけ季節が進んだということなのでしょうか。
1984年(昭和59年)10月25日
まさかりが淵市民の森が開園
まさかりが淵市民の森が開園した。【横浜市HP】
▼norimaki訪問記(2025年11月8日・訪問)▼
横浜市とは思えないような、渓谷っぽいところに滝がある公園です。公園名となっているまさかりの由来は、「昔村人が滝つぼにまさかりを落としてしまったところ、滝つぼの中の姫がそれを拾って返してくれた。ただ、自分の存在だけは他言しないよう忠告されていたのに、それをうっかり喋ってしまったのでその村人は命を落とした」という伝説によるものらしいのですが、現地に建っていた看板が教えてくれるには、今は不必要な場所に踏み入れると別の理由で命を落とすことになりそうです。
1986年(昭和61年)4月1日
東俣野小学校が開校
横浜市立東俣野小学校が開校した。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年11月30日・訪問)▼
横浜もここまで来ると、かなりのどかな風景になるなー、という感じのところにある学校でした。学校前の林にはカラスの巣があるようで、近隣の民家にある柿の木にやって来ては、柿の実を口にくわえてせっせと運んでいるところでした。学校の回りも畑になっている所が多かったです。
1986年(昭和61年)4月1日
平戸中学校が開校
横浜市立平戸中学校が開校した。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年12月7日・訪問)▼
平戸台小学校から、国道1号線を挟んだ反対側の高台にある平戸中学校。中学校までも登り坂でしたが、その先にはさらに階段があり、登りきると一面果樹園が広がっていて、家族連れがミカン狩りを楽しんでいる様子。昨日調査のために訪れたばかりの平戸小学校を通り過ぎ、そこから果樹園沿いの道をさらに進むと、東戸塚駅方面が良く見えるところに出ました。振り返って広がる果樹園の風景は、なんだか横浜とは思えないようなのんびりした雰囲気です。
1987年(昭和62年)3月31日
品濃坂歩道橋が竣工
品濃坂歩道橋が竣工した。【現地銘板】
▼norimaki訪問記(2025年12月7日・訪問)▼
平戸小学校方面から東戸塚に向かって下る坂が旧東海道の品濃坂で、その道が環2をオーバークロスするとことにかかるのが品濃坂歩道橋で、この辺りは旧東海道の痕跡を紹介する案内板が幾つも建っているので、江戸時代に想いを馳せながら散策するにはなかなか良いところです。
1988年(昭和63年)4月1日
東品濃小学校が開校
横浜市立東品濃小学校が開校した。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年12月6日・訪問)▼
学校の周りはたくさんのマンションが建っており「いかにも東戸塚」という雰囲気のところです。その中で一番近い「クレール丘の街」という建物の外壁には防護ネットがかけられていましたが、おそらくリニューアル工事のためでしょう。東戸塚っていうと新しい町というイメージなのですが、このマンションの竣工は1987年のようなので、気が付けば40年近くの年月が経っているんですね。
なお、小学校の隣には品濃中央公園があって、テニスの練習をしているおじさんが1人と、散歩をしているおじさんが1人いたという土曜日の9時過ぎの風景でした。一方、校内のほうはといいますと、校舎にかけられた時計が少しおしゃれな感じ。
1995年(平成7年)3月24日
東俣野中央公園が開園
東俣野中央公園が開園した。
【横浜市HP】
▼norimaki訪問記(2025年11月30日・訪問)▼
大きな芝生の広場やテニスコートなどがあって、いろんなアクティビティーができそうしたが、何よりnorimakiが注目したのは展望台からの眺め。台地の縁にあるその場所からは、一段低くなった境川沿いを通してかなり遠くまで見通すことができ、エンパイア(今は横浜薬大だけど、昭和世代にはこちらのほうが馴染みがあるんです)やドリームハイツ等が見えました。
1995年(平成7年)5月28日
ハーモス深谷が開業
ハーモス深谷が開業した。【横浜市HP】
▼norimaki思い出話(2025年11月11日・記)▼
我が母校、深谷中学校の近所にできたスーパーです。私の記憶が正しければ、もともと深谷町の生協は、深谷台小学校の脇の辺りにあった(norimaki家では、和泉町の生協と区別するため「深谷生協」と呼んでいました)のですが、これが閉店する代わりにハーモスができた、ということではなかったかと思います。
2001年(平成13年)4月1日
下郷小学校が開校
横浜市立下郷小学校が開校した。【令和2年度横浜市立学校名簿】
▼norimaki訪問記(2025年11月22日・訪問)▼
きれいに区画された新しいの住宅地の中にある学校です。21世紀になってからできただけあって、時計の周りの曲線的な感じとか、なかなかおしゃれなだな、って思いました。校庭では、少年サッカーの練習が行われていましたが、女の子の姿もあったので、「少年」という呼び方が良いのかな、と考えたり。
校舎の壁面には「Shimogo 20th」の垂れ幕がかけられていましたが、既に創立25年を過ぎているので、5年前から掛けられたまま、ということなのかな。そして学校横の敷地にあるグラウンドでは、子供たちの野球クラブの練習も行われていました。
2006年(平成18年)3月6日
環状4号線(深谷~下飯田)が開通
都市計画道路環状4号線の、戸塚区深谷町(深谷台小学校付近)~泉区下飯田町(下飯田駅付近)間2.1kmが開通した。
【横浜市HP】
▼norimaki感想文(2025年11月8日・記)▼
環状4号線が開通する前の1990年代は、沿線(深谷町から和泉生協に抜ける辺り)は住宅と田畑が混在する静かなところで、深夜にドリーム方面から歩いて帰ってくるときなど、周囲は真っ暗で少し怖い雰囲気でさえあったのですが、今は環4号沿いを中心にお店も増え、すっかり賑やかになりました。
2010年(平成22年)4月2日
トツカーナモールがオープン
戸塚駅西口の再開発ビル「トツカーナモール」がグランドオープンした。111店舗からなるトツカーナモールと、56店舗からなる戸塚東急プラザで構成。【戸塚駅西口第1地区第二種市街地再開発事業】
▼施設外観▼
▼norimaki感想文(2025年11月3日・記)▼
norimakiがトツカーナでよく行く店といえば、ミスタードーナツ、マクドナルド、そしてドトール。いずれも、休日の夕方、1日のお出かけを終えて帰宅前にちょっと一服、という感じで入ることが多いです。この中で一番のマイブームはミスドでコーヒー+ドーナツ1個(シュガーレイズド、エンゼルクリーム、カスタードクリーム、海老グラタンパイetc.)なのですが、店が混んでいることが多いのが難点。
2010年(平成22年)9月28日
ヤマダ電機横浜戸塚店が開業
ヤマダ電機テックランド横浜戸塚店が開業した。【横浜市HP】
▼norimaki訪問記(2025年11月12日・訪問)▼
ちなみにnorimaki家では通称「ジャマダ電気」と呼んでいますが、別に「邪魔だ」ではありません。すごく役に立っています。
そんなヤマダ電機に行ったのは平日の19時半過ぎ、ということでお客さんはあまりいませんでした。ちなみに今の売り場構成は、1階がスマホ、テレビ、パソコン、デジカメ等、2階が蛍光灯、エアコン、洗濯機、冷蔵庫等、となっていますが、少し前までは逆だったような。入れ替わった理由は良く分かりません。
なお、お店の話とは関係ないですが、長後街道を渡った反対側は戸塚方面に向かって開けた谷間になっていて、遠くランドマークタワーの明かりとかも見えて結構きれいです。
2010年(平成22年)12月12日
原宿立体交差が全線開通
2009年度に開通した上り線に続き、この日下り線が開通したことにより、国道1号線原宿交差点の立体交差が全線開通した。【国土交通省HP】
▼norimaki感想文(2025年11月8日・記)▼
開通1ヶ月後には、8時台の通貨所要時間が29分から7分と、大幅に改善されたとの報告があります。ただ、最近の朝の交通情報を聞いていると、下りは影取交差点、上りは戸塚警察署交差点で慢性的に渋滞しているので、原宿がスムースになったぶん、その前後に渋滞が移動した、ということなのかも知れません。
2015年(平成27年)3月25日
戸塚アンダーパスが開通
戸塚アンダーパスが開通した。【伊藤忠都市開発HP】
▼施設外観(2025年11月15日・撮影)▼
2017年(平成29年)4月1日
横浜深谷台小学校が開校
深谷台小学校、俣野小学校を統合し、横浜市立横浜深谷台小学校が開校した。【深谷台小学校HP】
▼norimaki訪問記(2025年11月1日・訪問)▼
ドリームハイツの中にある学校です。訪問時、校庭では少年野球の試合が行われるようで、何人もの人が集まって来るところの様子。校庭の反対側、かつて深園幼稚園があったところは、今はFOOD TAYAMAという名前のスーパーと、サンドラッグ、セリアになっていて、大勢の人でにぎわっていました。その一角には、記念に保存されたと思われる深園幼稚園の門柱の一部も。
なお、norimakiが深谷町在住時(1990年代まで)は、ハイツでの買い物といえば旭マートだったと思うのですが、こちらはシャッターを下ろした店が多く、すっかり寂しんぼの様子だったのが対照的でした。
2022年(令和4年)3月24日
環状3号線(日之出橋~国道1号)開通
環状3号線の日之出橋交差点~国道1下り線間(1.0km)が開通した(国道1号上り線との接続は工事中)。
【横浜市HP】
▼norimaki訪問記(2025年11月22日・訪問)▼
1・2枚目の写真は合流点そば(やや東京寄り)にある歩道橋上から撮影したものです。上りの戸塚警察署前、下りの影取、という渋滞名所(?)に挟まれたエリアにあるためか、両方向ともノロノロ運転になっていました。
3枚目の写真は合流点から南戸塚方面に下り始めた辺り。現時点では、国道1号線下り側にしか接続していおらず、上り線側への工事をしているようなところはあったけど、見たところ完成まではまだまだかな、という感じでした。なお、東側が開けた高台にあるためか、眺めは良かったです。
2022年(令和4年)11月30日
サミット踊場駅前店が開店
サミットストア踊場駅前店が開店した。【サミットHP】
▼norimaki訪問記(2025年11月12日・訪問)▼
実は初訪問のサミット、店内に入りエスカレーターで上がった先の売り場を見てまず驚いたのは、天井のダクトとか、鉄骨の吹き付け材とかがむき出しになっていること。訪れたのは20時頃ですが、客層としては、帰宅途中のサラリーマン、という感じの人が多かったように思います。そして恒例(といってもこの前ローゼンの取材をして以来の2回目ですが)の袋詰め商品の値段はといいますと、バナナ158円、みかん、トマト、柿がいずれも358円、リンゴ998円といったところ。
ちなみに、道路に面したサミットの入口は1階ではなく2階になっています。店が坂の途中に建っているからそういう構造になっているみたいで、坂の下の方にある日産の入口が1階、とのことでした。